大学院2年生での学びについて教えてください
2年目の後期は主に論文執筆に力を入れたのでとても忙しかったですが、自分のやりたいテーマで研究でき、充実していました。
履修科目の中で 特に印象に残っているのは「グローバルフェミニズム」という授業です。オーストラリアの歴史上だけでなく、アジアやアフリカなど他の国や地域の女性たちの運動について学びました。
この授業での最大の気づきは、リーダーシップにおける「ダブルスタンダード」を歴史的文脈から再解釈できたことです。
例えば、ネルソン・マンデラ氏が解放運動において武力行使を含めて「英雄」と称賛された一方で、彼が収監されている間に運動を牽引した妻(ウィニー・マンデラ氏)は「女性らしくない」「魔女」と非難された事例があります。
女性リーダーに課される「平和的・ソフトであるべき」という社会的期待が、いかにバイアスとして機能しているかという点は、とても興味深く現代社会にも根強く残る課題だと考えさせられました。
多文化社会であるオーストラリアにおいて、このような多層的な視座を持つ学びは、不可欠な前提(あるいは「基盤として求められるもの」)なのかもしれません。
修士論文ではどのようなテーマを研究されたのですか?
2年の前期後半には、修士論文の「プロポーザル(研究概要)」を作成し、スーパーバイザーとなる教授に提出します。後期に入ると同時に本格的な執筆が始まるため、実質、後期の開始前(新入生のオリエンテーションウィーク中)に教授とのミーティングを行い、テーマの承認を得る必要がありました。
私は、かねてから関心のあった「ジェンダー・ノーム(社会的性別規範)と女性のリーダーシップの関係」をテーマに選びました。「女性らしさ」や「男性らしさ」といった固定観念が変われば、女性の管理職やリーダーは増えるのか、という問いです。
例えば、「女性は子育てに専念すべきだ」という前提や、「長時間労働が昇進の条件」となっているシステムの中では、女性が管理職を目指すこと自体が困難になります。
特に日本における現状に焦点を当てたのですが、指導教授からは毎週のミーティングで手厚いフィードバックをいただきながら、研究を深めることができました。
リサーチの過程で、2000年代初頭の日本ですでに女性たちが主体的に集まり、ネットワーキングや情報交換を行っていた事実を知り、当時の女性たちの情熱にとても感銘を受けました。彼女たちが情報交換を通じていかにキャリアを切り拓いていったかという実態を紐解くと同時に、日本の「長時間労働」や「性別役割分業意識」という構造的障壁(ボトルネック)を客観的なデータで分析する力を、この論文執筆を通じて身につけられたと感じています。
ジェンダー学を学ぶ中で、ご自身の考え方に変化はありましたか?
はい、大きく変わりました(笑)
入学前は、フェミニズムに対して少し凝り固まった見方をしてしまい、時には批判的・攻撃的な姿勢になってしまう部分がありました。しかし、フリンダース大学の女性学&ジェンダー学で多様な視点に触れるうちに、自分の尖っていた部分が少しずつ柔軟(マイルド)になっていくのを感じたのです。
学びを通じて気づいたのは、現実社会で仕事をしていく上では、必ずしも自分と同じ理解を持たない人とも協働していかなければならない、ということです。一方的に自らの正しさを主張するだけでは、周囲の協力を得ることはできません。
理想を掲げることも大切ですが、まずは現実の社会構造をしっかりと見つめ、異なる意見を持つ人に対しても一歩下がって理解を示そうとする、そんな「バランス感覚」を持てるようになりました。
卒業後のキャリアに向けて、どのように活動を進めましたか?
現地での経験を積むために、修士1年目の後半からインターンやボランティアをずっと探していました。しかし、2年目になってもなかなか見つからず、焦りを感じる日々が続いていました。
そんな中、大きな転機となったのが、毎年3月8日に開催される「
International Women's Day(国際女性デー)」のイベントに参加したことです。
修士論文の指導教授とは別の先生から誘っていただいたのですが、その先生はUN Womenや政府機関をクライアントに持つ、現役の「
ジェンダー・コンサルタント」でした。まさに私が将来興味のあるキャリアを歩まれている方だったため、「絶対にこのチャンスを逃したくない」という思いで参加を決めました。
イベントの最中、先生から「大学内でジェンダー関連のショートフィルムフェスティバルを企画したい」というお話が出ました。周囲の学生はあまり関心を示さず、企画自体が流れてしまいそうな雰囲気だったのですが、私は「
ぜひ!やりたいです!」と手を挙げたんです。「じゃあ一緒に企画を進めよう!」とお誘い頂きました。
その日から先生と毎週ミーティングを重ね、当初は2人だけだったメンバーも、最終的には8人ほどに増えていきました。私は上映(プロジェクション)チームの
リーダーに立候補し、機材の設営から、大学のスチューデントハブにある巨大モニターの使用・進行管理など、実務を引き受けました。無事に開催を終えたときには「ジェンダーの知見」だけでなく「実務を完遂(デリバリー)できる能力」を周囲に証明できたと手応えがありました。
フェスティバルが成功に終わった後、さらに一歩踏み込みたいと考え、ジェンダーコンサルタントの先生に「
キャリアについてお話を伺いたい」とアプローチを続けました。非常にお忙しい方なのでなかなかタイミングが合わなかったのですが、諦めずに連絡を続け、3度目の正直でようやく面談の機会をいただくことができました。
先輩としてのキャリア形成のお話は、想像はしていましたが、その道が決して平坦なものではないことを理解しました。 その中で「今をどう活かすか」という具体的なアドバイスをいただきました。そしてその場で、「
南オーストラリア州の政府機関がボランティアを募集していて、今が選考期間中」という貴重な情報を教えてくださったのです。
国際女性デーへの参加から始まり、映画祭でのリーダーとしての働きぶりを見ていてくださった先生は、
あなたが強い意志を持って頑張っているのを知っている。リファレンス(推薦人)になるから応募しなさいと提案してくれたのです。
その政府機関のボランティアは、窓口自体は通年で開いているものの、
実際の選考は「年に1度」しか行われないものでした。つまり、今この瞬間に動かなければ、次のチャンスは1年後という極めて重要なタイミングでした。
世に公表されていない、今まさに「選考段階の情報」を教えていただけたこと、そして何より、「信頼できる推薦人」を得られたこと。あのとき一歩を踏み出して行動し続けたことが、最終的に現地就職という幸運を手繰り寄せてくれたのだと感じています。
実際の面接について教えてください
先生に推薦していただいてすぐに履歴書を提出したところ、翌日には面接日程の連絡が届きました。すでに選考自体は進んでいたので、本当に「ギリギリのタイミング」で滑り込めたのだと思います。
現役ジェンダーコンサルタントの教授の推薦を得てますが、相手は政府機関です。そしてボランティアとは言え、オーストラリアでの本格的な面接はこれが初めてだったため、対策の仕方も分からず手探り状態でした。思い返せば 笑い話なのですが、当時は本当に必死で、日本の就活経験をベースにしたガチガチの「日本式対策」を準備して臨んでしまったんです。
当然、実際の面接ではその準備はまったく役に立ちませんでした(笑)。
そして 面接での窮地を救ってくれたのが、フリンダース大学院での学びでした。
面接官から投げかけられたのは、想定外の質問でした。
「あなたにとって、フェミニズムとは何ですか?」
当時の私は、自分の中でフェミニズムの明確な定義を完璧に言語化できておらず、一瞬頭が真っ白になりかけました。しかし、大学院で貪るように学んだ記憶・・・少しパニックになりかけた脳裏に、唐突にある作家の言葉が浮かび上がってきたのです。ナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ氏の言葉でした。
『フェミニストとは、男性であれ女性であれ、今日のジェンダーのあり方には問題があると認め、それを正し、より良くするために行動する人のことだ』
私はこの言葉を引用し「属性に関わらず、社会のあり方に問題を感じたときに声を上げ、行動することこそがフェミニズムです。それは単なる抽象的なイデオロギーではなく、社会課題を解決するための『具体的なアクション』だと考えています」と、自分が目指す理想像を必死に言葉にしました。
何とか面接を乗り切った(燃え尽きた)後日、無事に採用の連絡をいただくことができました。
そして、これには後日談があります。
そのボランティアにはかなりの数の応募があり、最終的に合格したのはわずか10名に満たない一桁の人数だったそうです。(それでも、その年の採用人数は多いということでした)
そして 採用者が集められ、4日間にわたる共通トレーニングが始まったのですが、その初日にスライドに掲げられた「組織としてのフェミニズムの定義」を見た瞬間、目を見張りました。
そこに書かれていた文言が、まさに私が面接で答えた『問題を感じた時に声を上げ、行動すること』そのものだったのです。
このとき「
大学院での学びは自分を支えてくれる。決して裏切ることはない」と確信へと変わった瞬間でした。
ボランティアの仕事内容について教えてください
毎週月曜日と、隔週の木曜日に、同じ政府機関の中で「それぞれ異なる2つのボランティア活動」を掛け持ちしていました。
月曜日は、女性たちが抱える幅広い問題への「初期対応チーム」に所属していました。主に電話対応や、直接窓口に足を運んでくださった相談者への最初の対応がメインです。
相談内容は、圧倒的に多いDV(ドメスティック・バイオレンス)をはじめ、メンタルヘルスの不調、住居(ハウジング)の確保、経済的・法的な困りごと、LGBTQ+に関する悩みなど、多岐にわたります。女性が抱えるあらゆる困難のヒアリングを行い、解決の糸口となる適切な専門機関や行政サービスへと繋ぐ「最初の窓口」としての役割を担っていました。
ボランティアの権限として、深い相談やアドバイス、相談者の代理(On behalf of)となって他機関と直接交渉や手配を行うことまではしませんが、隣でベテランスタッフが見事な初期対応で相談者を落ち着かせ、必要な支援に繋げていく姿を間近で見て学べたことは、私にとって非常に大きな財産となりました。
一方、木曜日は一転して、アットホームな「コミュニティ・デイ」のボランティアです。 この日は、孤独になりがちな人、誰もがふらっと気軽に立ち寄って、お茶を飲みながらおしゃべりを楽しめる温かい居場所づくりの日でした。私はその運営スタッフとして、訪れる方々の話し相手になり、安心して過ごせる空間をサポートしていました。
緊迫感のある月曜日の窓口対応と、温かく寄り添う木曜日のコミュニティ活動。この2つの異なるアプローチを通じて、現地の女性支援の最前線を多角的に体験できたことは、本当に意義深い経験でした。
ボランティアから正式採用までは?
周りのボランティアスタッフが一人、また一人と辞めていく中でも、私はボランティアスタッフとして活動を続け、気がつけば開始から9ヶ月が経過していました。大学院2年目の5月頃から始めたので、ちょうど卒業まで修士論文の執筆に追われながらも ボランティアに通い続けていたことになります。
大きな動きがあったのは、大学院を卒業してすぐのことでした。私の部署の直属の上司が異動することになり、それに伴って新規採用の募集がかけられたのです。ボランティアスタッフの私にもその通達があり「絶対にここで働きたい」という強い思いですぐに応募しました。
面接当日、緊張しながら部屋に入ると、そこに面接官として座っていたのは、月曜日の直属の上司(異動する方)と、木曜日のコミュニティ・デイの上司でした。9ヶ月間、私のボランティアとしての働きぶりや姿勢をすぐ近くで見守ってくれていたお二人だったため、面接はこれまでの信頼関係を確かめ合うような、終始和やかな雰囲気で進みました。
そして後日、その上司から直接、携帯電話に採用の内定通知をいただくことができたのです。
現在は、南オーストラリア州政府の Office for Women(女性局)内にある「Women's Information Service(女性情報サービス)」で正式に働いています。
ここは、DV、メンタルヘルスの不調、住居や経済的な困りごとなど、女性が抱えるあらゆる問題の最初の窓口です。いわば「行政サービスの最前線」です。
相談件数として圧倒的に多いのは、前述のとおり深刻なDVの相談です。時には、即座に警察(トリプルゼロ)や専門の安全確保サービスへと繋ぐような、一刻を争う緊急対応を迫られることもあります。社会から完全に孤立してしまっている方からのSOSなど、時には希望の光が見えづらい、胸が締め付けられるような困難なケースも少なくありません。
複雑に絡み合った相談内容の中から、「いま最も優先すべきことは何か」「次に起こすべきアクションは何か」を見極め、適切な相談先や行政支援を案内し、問題解決への最初の一歩を正しく繋ぐこと。
そして、相談を終えて受話器を置くときには、「この方が、二度とここに電話をかけてこなくてすみますように(=今度こそ無事に問題が解決し、幸せに歩んでいけますように)」と心から願いながら、日々この仕事に向き合っています。
ご卒業された今のお気持ちを率直に教えてください。フリンダース大学で学んで良かったですか?
私にとってフリンダース大学の Master of Arts - Women's and Gender Studies のカリキュラムは、学びたかったことのまさに「ど真ん中」でした。
もちろん毎日勉強時間を確保しても終わりのない課題提出、時には孤独との戦いだったことは確かです。それでも 2年間、興味が絶えることなく貪欲に学び続けることができました。
さらに、業界で大変高名かつ多忙な身でありながら、修士論文の執筆に毎週のように寄り添い、的確なアドバイスをくださった指導教授。
そして、現在のキャリアへと繋がる最高のきっかけをくれたジェンダー・コンサルタントの教授。
お二人をはじめとする素晴らしい先生方に出会えたことは、期待をはるかに超える、私にとっては「お釣りがくるほど」の「深い学び」と「かけがえのない人との繋がり」をもたらしてくれました。
そして振り返ると、私のこの留学の最初のきっかけをくれたのは「オーストラリア留学センター」のWEBサイトにあった、ジェンダー学を学べる大学院を紹介する記事でした。あのとき、勇気を出して問い合わせフォームから連絡をした瞬間から、私の今の人生へと続く道が始まったのだと思っています。
担当の齋藤さんには、大学院の入学前はもちろん、現地に渡ってからも定期的に近況をキャッチアップしていただき、ついに現地での就職が決まったときは私にこう言葉をかけてくださいました。
「本当におめでとう。オーストラリアでは キャリアを ゼロの状態から イチにするのが一番大変。それを自分の力で『イチ』にできたのは、これまでの頑張りがあったから。本当に凄いことだから、もっと自分に自信を持ってね」
その言葉を聞いた瞬間「ああ、そう言って貰えたってことは、私は本当に頑張ったんだな……」という想いが溢れて実感したことを、今でも鮮明に思い出します。
そして 6月後半から少しだけ休暇をいただいて日本へ一時帰国する予定です。
私の留学を日本から陰ながらずっと応援し、支え続けてくれた家族、そして「海外へ出なさい」と背中を押してくれた日本の大学の恩師。
今度は私が、皆さんのもとへ足を運び、直接たくさんの感謝の気持ちを伝えたいと思っています。