【体験談】異なる文化的背景の共存〜すべての人が平等に生きられる社会へ〜

馬路ひなのさん
日本で高校卒業後、クイーンズランド大学で国際関係学と文化人類学を学んでいる馬路ひなのさんの体験談です。大学の授業と並行して様々なイベントやボランティアに参加し、移民難民問題に取り組むひなのさんに、出願と留学決定までの経緯、クイーンズランド大学での授業、学外での活動について伺いました。

卒業前日に合格!留学決定に至るまでの怒涛の高校生活

海外の大学進学は、高校生になる前から頭にありましたが、あくまで夢のまた夢の話でした。高校二年生の後半、周囲やメディアの影響もあり、アメリカやカナダの大学を調べるようになりました。しかし、IBディプロマの課題と平行して、出願に必要なSATや多くの志望理由のエッセイに取り組むことができませんでした。

海外進学における英語力や学力、資金調達などの難しさに直面するうち、日本語で受験要項が読める首都圏の大学が現実的に思えてきました。高校3年の1学期から自己推薦枠がある大学を選び、夏から秋にかけては志望理由書などに集中して取り組みました。

同じ頃、日本学生支援機構(JASSO)による学部学位取得型の奨学金があることを知りました。この奨学金は、どの国のどの大学への留学でも出願が可能です。家族とは、合格にかかわらず、資金面から奨学金なしでは海外留学できないことを約束をした上で、これに挑戦せず後悔する自分がありありと想像できたので、今からでも出願のできる海外の大学を探すことにしました。

奨学金申請とオーストラリアの大学出願

海外の大学進学について高校の先生に相談したところ、「IBのスコアさえあれば出願できる」というオーストラリアの大学を提案されました。日本での自己推薦受験を通し、自分が大学で学びたいことが分かっていたので、オーストラリアでそれを学べる学部を選びました。

そして高校3年生の10月に入って、初めてオーストラリア留学センターに連絡をとり、担当カウンセラーの坂本さんを通してUWA(西オーストラリア大学)、 UQ(クイーンズランド大学)、Griffith(グリフィス大学)の3校に出願しました。

この頃、日本の大学受験と、JASSOの奨学金応募書類に必要な3大学のコース詳細の和訳、日英エッセイ、そしてIB最終試験をほぼ同時期に抱えていたので、毎日が必死でした。奨学金の締め切りはIBの最終試験の最終日だったこともあり、今振り返るとかなり無理のある挑戦であったと思います。数えきれないほど高校の先生、先輩、母親に支えてもらいました。

IBスコア発表から奨学金合格、留学決定へ!

翌年1月、IBのスコアが発表され、出願したオーストラリアの3大学からの合格が決定となりました。ただ、奨学金が取れない場合は、予定通り日本の大学へ進む予定だったため、合格していた日本の大学への入学手続きや入学金振り込みを同時に進めていました。

そして2月に奨学金の二次面接試験を受け、卒業式の前日に合格がわかりました。その後、入学手続き、ビザ申請、住まい探しなどを始め、渡航の準備をしました。

国際関係学と文化人類学のダブルメジャー

現在私はクイーンズランド大学で、Bachelor of Arts(人文社会学部)で、国際関係学(IR - International Relation)と文化人類学(Anthropology)を専攻しています。

国際関係学〜オーストラリアの外交政策とその背景〜

国際関係学(IR)は、どの授業も理論を土台として組み立てられている印象を受けます。リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムなどの国際関係学の理論と、国際社会における事例を照らし合わせる作業は、どの授業でも一貫して行ってきました。はじめは、理論ベースの授業が抽象的に感じ、目的や意義を見出せませんでした。しかし、毎週論文を読んでチュートリアルで議論したり、繰り返し様々な理論を比較対比したりすることで、少しずつ慣れてきました。

2019年のセメスター1に履修した「オーストラリアの外交政策」というコースは、特に印象に残っています。このコースでは、外交政策が形づくられるプロセスと背景を学び、オーストラリアの外交政策が、歴史的背景や文化、アイデンティティからどのような影響を受け、形成されていくのかを分析しました。オーストラリアが、主要な外交相手であるアメリカや中国、日本、インドネシア、南太平洋諸国などとどんな関係を築き、国連を中心とする国際機関でどのような立ち位置を示しているかを理解することも、この授業の目標とされていました。

課題のエッセイでは、オーストラリアの気候変動に対する政策を、オーストラリア経済と石炭産業、パリ協定などを取り上げながら議論しました。

教授やチューターは、国際関係学の理論を通してオーストラリアの外交政策の背景や意図、影響を理解することを常に口にしており、私自身、実際にオーストラリアの歴代首相や政党など内政についての理解が深まり、日常生活でもオーストラリアの政治に関心を持つようになりました。

オーストラリアの視点から安全保障や経済、開発、環境などの地球規模の課題を捉え、国益や国際社会での立ち位置を考察したことで、自身のオーストラリア生活をより意義深いものにできたと感じています。

文化人類学〜エスノグラフィーの手法と観察〜

文化人類学は、人々と、彼らが住む社会と文化を扱う学問です。宗教や親族関係、権力、暴力、経済、ジェンダー、アイデンティティなどをテーマに取り上げ、人々の生き方や行動について探求します。

入門コースでは、文化人類学の歴史や目的から、オーストラリアの文脈で文化人類学が社会で担う役割や貢献について考察し、また、文化人類学が扱う 主要要素や理論、概念と、文化人類学者の 研究手法となるエスノグラフィー(民族誌)の基礎を学びました。

課題では、文化人類学者の模擬として研究手法を実践しました。たとえば、Kinship(親族関係)をテーマにインタビューとその考察をするエッセイ課題があり、私は母方 の祖母に電話インタビューを行い、祖母にとっての家族や親戚にあたる人物や、子どもの世話、経済的・感情的支援をしていた親族の位置付け、社会的権力を握る立場などを尋ねました。

インタビューから、祖母のもつ親族関係や概念が、文化や歴史的背景にどの程度どのように影響を受けているのかを、複数の文献をもとに考察しました。また、約 1 時間におけるインタビュー の録音から、内容をコード化したり、親族関係を記号を用いて表にしたりする文化人類学独自の手法を学びました。

そのほか、フィールド調査の練習として公共施設にて1時間の観察を行い、そこで得た結果をもとに考察を行 うというエッセイ課題もありました。この課題で私はブリスベン市内にあるレストランを観察場所に選び、店内の気温、匂い、音、店員、客の声や客層など、五感で得られる出来る限りの情報を書き残し、観察後に考察を行います。

このように、文化人類学では活動を伴う課題が多く、文化人類学的な手法と視点をもって、自身の身の回りについて見つめ直す良い経験となりました。このコースの学びは、その後の理論的な授業で扱うエスノグラフィーを立体的に見つめ理解することに役立っていると実感しています。

文化人類学から繋がるネットワーク

視野を広げてくれる友人との出会い

大学では、新しい人との出会いが毎日のようにあります。大学にはほぼ毎日行き、授業か、友だちと勉強、イベント参加など忙しくしています。

友人の1人に、文化人類学の博士課程のマレーシア人、アスランがいます。彼とは、文化人類学専攻の学部や修士、博士課程の学生と教授らの交流を図るイベントで出会いました。マレーシアにおける難民問題の研究をしており、研究審査が通り次第、実地調査をする予定です。彼は28歳で年上ではありますが、難民を取り巻く国際情勢、定住問題などに関する関心が共通しており、とても仲良くしてもらっています。

「当たり前じゃない」ことへの気付き

ブリスベンには、ミャンマーからインドネシアやマレーシアを経て移住してきたロヒンギャ難民のコミュニティがあります。アスランは、そのメンバーとの繋がりがあり、先日はコミュニティの会合に招待してもらいました。ロヒンギャ難民の同年代の青年らとの交流は、私にとって忘れられない経験となりました。

アスランを通じて、他の博士課程の人とも多く出会いました。世界各国から、研究のためにUQ(クイーンズランド大学)にやってきた人たちは、それぞれの関心や問題意識、研究活動を聞かせてくれます。

文化人類学の授業は、年齢層が多様です。子供がいたり、社会人生活で貯金を貯めた後、正規学生としてUQで学んだりする人も多いです。授業では、同世代、自分の親世代、それ以上の年代の学生もみんなで学び、ディスカッションを繰り返します。一度社会で働いた後、学びたいことを見つけ、大学に通うという思考回路にはっとさせられました。「高校を卒業したから大学に行く」というのは当たり前のシナリオでも何でもないことに気付かされました。

アスランを含め、様々な背景を持った学生との出会いは刺激がいっぱいです。

UQ開催のイベントを通しての学び

UQでは常に様々なイベントが開催されていて、履修する授業以外に興味を持って学べる機会が多くあります。学生連合、大学のソサエティーによる交流会、講演会、勉強会、トリビアナイト、文化人類学や国際関係学の学科によるパネルディスカッションやワークショップ、研究発表会など盛りだくさんです。

各学期4科目の履修だけでは少し物足りないと思い、私はいろいろなイベントに意識的に参加するようにしています。たとえば国際関係学の学科は、大学外から国連やNGOの職員、外交や安全保障についての専門家などを招いた講演会を頻繁に開催しています。また、博士課程の研究発表を公開しており、学部生として参加することもあります。

このようなイベントは実社会における問題や話題に触れ、新しい人と出会える貴重な機会です。学部、修士、博士課程に関係なく、人との出会いがあります。また、授業で週に1度しか会える機会がない分、友人を誘って一緒に参加することで、一緒に過ごす時間を作ることもできます。

多様な文化が生きる場所〜ブリスベンでの暮らし〜

コミュニティーの一員であることを実感

ブリスベンでは友達と二人で、大学の近くのアパートに暮らしています。ブリスベンへの留学の強みは、大学の外の地域社会に身を浸り、日々の生活の中で様々な知見が得られることだと思います。

家に定期的に届く市報には、ブリスベン市のインフラ取り組みやイベントなどの情報が満載です。常にどこかで道路工事が行われており、より安全に、快適に使用できるように改善されています。
自転車専用の道路の整備や拡大も続いています。各所の公園は、次々と遊具やエクササイズ器具が設置、ヨガのインストラクターを招いた無料イベントもよく開催されています。市報は、私も地域コミュニティの一員として含められていることを感じされ、より身の回りの催しや話題に関心を持つようになります。

ブリスベン全体として、社会の雰囲気がより明るく、より賑やかで、より多様な文化が生きる場所へと変化しつつある印象を受けます。ブリスベンの人口は年々増加しており、道路渋滞やバスの不便さなど課題はいくつもありますが、目に見える街の成長や変化を見つめることで、自身の学びにも繋がります。

インドのお祭りやチベット人コミュニティー参加

市街では様々な国や宗教の存在に触れるのが、日々のささやかな楽しみです。シティを歩いていると、様々な国や地域、宗教などにまつわるイベントを見かけることがよくあります。先日は、大学で出会ったインド人の友人とFestival of Chariotsというお祭りに行きました。ヒンデゥー教の神を祀った山車と共に、華やかなサリーに身を纏った人々で、シティーの広場が埋め尽くされていました。

ベジタリアンのインド料理を囲み、友人はカレーやおかずを一つ一つ紹介してくれました。近年、オーストラリアに住むインド人の数は、中国人と並び大きな割合を占めています。そんなインドの存在感と文化を学ぶ貴重な機会となりました。

また、チベット人の友人に誘われてブリスベンのチベット人コミュティの集まりに参加することもあります。イスラム教の断食の時期、近所の公園のBBQエリアには毎晩ムスリム教徒の家族が連れ立っています。大勢で円になって芝生に座り、夕食をする様子は、忘れられない光景です。

難民支援団体でボランティア〜シリア難民夫婦との出会い〜

2019年1月から、クイーンズランド州で活動する難民支援団体でボランティアをしています。ブリスベンで参加できる難民に関わる活動を探していたところ、文化人類学のチューターにこの団体を紹介して頂きました。

私は、シリア難民の夫婦の家を毎週訪問し、英会話や文字書き、パソコンの使い方、図書館の利用などを手伝っています。二人はオーストラリアの市民権を獲得するための試験を来年に控えており、その勉強を3人で取り組んでいます。

オーストラリアの難民受入政策を通して渡豪した二人は、政府からの支援があると言えど全く異なる言語、文化のオーストラリア社会で孤立しがちです。二人は、オーストラリアでの言語や人間関係、仕事探しの困難や苦労をこぼします。また、シリアや逃げた先のレバノンでの経験を聞かせてくれることもあります。

このように、二人が何でも話せる空気を作り、自分が聞き手に回ることを意識しています。そして2人は私を家族のように迎えてくれ、ボランティアとしての半年間の担当期間を終えた今も定期的に訪問しています。来年は、所属団体によって割り与えられた新しい難民の家族を担当します。

様々な人との出会いと「個人主義」社会で広がった視野

日本にいた頃と比べて、自分の将来や学ぶ目的について広い視野で柔軟に考えるようになったと思います。ブリスベンに来て、異なる生活スタイルや将来計画を持つ人に出会いました。家賃と学費を稼ぎながら、各学期に授業を2つずつ履修する同級生、社会人生活を中断して大学に入学した人、オーストラリア定住を視野に学ぶ留学生など様々です。

UQは2学期制で、2月と7月どちらの学期からでも入学が可能です。1学期に4科目を履修するフルタイムと、それ以下のパートタイムがあり、人によって在学期間は異なります。巨大な大学規模と相まって、人の入れ替わりは激しく、毎学期のどの授業においても年齢も国籍も背景も異なる全く新しい人と一緒に学び始めることが多いです。

オーストラリア渡航前、大学でしっかり授業を受け、第3カ国への留学やインターンをし、就職準備をみっちり行い、クイーンズランド大学の学位を持って帰国するシナリオを考えていました。

しかし、大学内外で様々な立場にある人に出会い、日本で想い描いていた理想的な大学生活は、なんとも生真面目である意味狭い視野であるように思えてきました。

多くの場合、日本での大学生活では、同じ年代の集団と入学から卒業までの時間を過ごすと思います。周囲がインターンを始めたり、就活の準備をしたりする光景を見ると、自分も自然とそれらを始めるピアープレッシャーがあるかもしれません。

しかし、ここでは自分の道しるべとなる大多数の動きや傾向が少ないと感じます。

巨大なキャンパスで、いつどこに行き、誰に会い、何をするのかは自分次第です。

オーストラリアは、欧米と並んでIndividualism (個人主義)の傾向が強いと言われています。多民族国家でもあり、皆が違うことが当たり前です。外見、言語、宗教、文化、価値観をとっても違うことが通常で、他人の言動に干渉せず、距離を保って尊重する風潮が強いと感じます。

日本にいる頃、他人の顔色を窺うことが多かったですが、オーストラリアに来ていい意味で吹っ切れ、「自分のことは誰も気にしないんだから」と失敗を恐れず、素直にアクションを起こせるようなったと思います。だからこそ、大学内外でいろいろなイベントや活動に加わったり、オーストラリア人の大勢の友人で旅行をしたり、大学外の団体で難民支援の活動をしたり、貪欲に自分のペースでのびのびと物事の取り組むことが出来るようになりました。

クイーンズランド大学卒業後のキャリアについて

多文化、多民族社会や移民、難民などに関心があります。グローバル化が進む世界で、異なる文化背景を持った人々が、一緒により良い社会を築いていく方法を考えることは重要だと思います。

加速する人口移動の動きの中で、世界各地で移民や難民が生まれ、様々な問題が生じています。日本国内では、差別や偏見、労働搾取、教育現場、収容所など、外国人を取り巻く環境は厳しいものとなっています。私は、外国人が増える日本社会の中で、在日外国人の対応や難民受け入れなどに関する政策提言をし、その対応に従事する人材になりたいです。

母は15年ほど前から、市立図書館で日本語を指導するボランティアをしています。生徒の中には、日本での居住歴が長いのにも関わらず、地域で孤立状態にある人が多くいます。私は母の生徒との交流を通し、異文化への興味をもつと同時に、異なる文化背景をもつ故に生まれる衝突や勘違いなどから生じる問題を目にしてきました。

オーストラリアに渡航以来、大学では移民や難民について多角的に学んできました。大学の外では、中東やアフリカ、アジアから難民としてやってきた人々と難民支援に従事する人と多く出会いました。引き続き、難民やアサイラムシーカーにおける政策や対応、就業、福祉、教育、アイデンティティなどを学び、学部を終えた次のステップを模索していきたいと思います。
豪政府認定留学カウンセラーPIER資格保持
(QEAC登録番号H318)
13歳でのメルボルン短期留学をきっかけに「英語」と「海外」に目覚め、その後カナダ(語学留学)とアメリカ(大学留学)にも留学。卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアへ再渡豪し、オーストラリア留学センターでワーペリ。帰国と同時にオーストラリア留学センター日本窓口が開設され現職へ。留学生を現地オーストラリアで「迎え入れる立場」と日本から「送り出す立場」、両側での勤務経験を通して、双方の視点からアドバイスすることを心がけています。 このカウンセラーに質問する

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