高校3年で大学受験に失敗し、浪人をしてもうまく行かず、京都の小さな短期大学へ進学することに。その後、「編入試験」に合格し、同志社大学へ。同志社大学卒業後、メルボルン大学開発学修士号を取得しました。
私の経歴をご覧いただければお分かりの通り、私は元々勉学ができる方ではありませんでした。13年間野球に没頭し続けた結果、私の学力は落ちるところまで落ち、偏差値は28に。模試では県最下位を叩き出すなど正真正銘の「The 落ちこぼれ」だった私は、周りの友人から「偏差値30製造機」と呼ばれていました。
野球に没頭し、高校で勉強を放棄した私は、今後アカデミックとは程遠い世界で生きていくものだと思っていましたが、6年後、メルボルン大学の門を叩き、そしてレガリアを纏う自分なんて想像していませんでした。
横文字が大の苦手だった私が、オーストラリアのトップ校へ。
人生、何があるかわからないものです。
「偏差値30製造機」だった私が勉強に目覚めたきっかけは、京都の短大で偶然出会った恩師の影響でした。それまでの私にとって「勉強」と言えば、別世界のお話のようで、とてもつまらないものでしたが、恩師の話す経済学はとてもリアルで、まるでテレビのバラエティ番組を見ているかのような、とても面白いものでした。
「勉強とは、視点を変えるだけでこんなにも楽しいものになるのか!」と、勉強の面白さに気付くことができ、知識があれば自分の世界はもっと面白いものになるかもしれない!と、勢い込んで勉強を開始しました。
メルボルン大学大学院進学を考えるようになった最初のきっかけは、短大でお世話になった恩師から、オーストラリアのボンド大学へ研究発表に行った話を電話で聞いたことです。
「トヨシマ君!!オーストラリアの大学、素ッ晴らしいよッ!!(フンフンッ)」
と、荒々しい鼻息が電話越しに伝わってくるほど、恩師はとても興奮しており、「あの恩師を興奮させるオーストラリアの大学って一体・・・」と、オーストラリアの大学に漠然と興味を持つようになりました。
一旦興味を持つと、情報は流れ込んでくるものです。
同志社大学でメルボルンへの1ヶ月留学プログラムがあることを友人伝いに知ることができました。家族にすぐさま電話をし、申し込みフォームをその場で書き上げ、そのまま勢いでメルボルンを訪れました。その際、留学プログラムの一環でメルボルン大学を訪問し、その大きさとアカデミアの深さに感銘を受けました。
実際に現地へ赴き、その雰囲気を体感すると実感は湧くもので、オーストラリアの大学に進学してみたいな、と真剣に考えるようになりました。
元々世界銀行で国際開発を行うことを目標にしており、それには開発学修士号が必要でした。留学プログラム終了後日本に帰国し、「開発学」をより幅広く学べる大学を探していたところ、オーストラリア留学センターの坂本さんの記事から、メルボルン大学で開発学が学べることを知りました。
感銘を受けた場所に戻るという御縁を感じ、メルボルン大学への進学を本気で決意しました。
メルボルン大学進学に向けて、まず初めに行ったのは、情報収集です。戦う前に敵を知らなければお話にならないと思ったからです。留学フェアに参加したり、エージェントの方に電話相談することで、GPAやIELTSなど、メルボルン大学に進学するためには、いつまでに・何が具体的に必要なのかを知るところから始めました。
次に取り組んだことは、勉強計画です。私がメルボルンに下見に来たのは、同志社大学3年生の2月。当時の私のGPAは2.2ほどしかなかったため、卒業までに全ての科目でオールAを取る必要がありました。
昼間は大学の授業をガッツリ受講しながら、隙間時間で英語を勉強し、夜はバイトをするという生活を送る以上、時間配分を考えなければ大学院進学は難しいと考え、どのように勉強をするかが重要となりました。
無事メルボルン大学大学院の開発学コースから合格を受け、2016年2月に大学院生活をスタートさせました。
開発学コースは、開発の基礎となる経済学や政治学等の理論から講義がスタートし、その後移民や災害、国際関係やジェンダー問題など、今日課題とされている開発の事例を具体的に考えていきます。
授業は基本的にレクチャーとチュートリアルの2つの講義で構成されており、それが混ざって1つになっている講義もあります。レクチャーは講師陣がメインとなって理論や彼らの経験を話す一方向の講義なのですが、チュートリアルは学生がメインとなり、与えられたトピックやケースについて学生が議論していく形式です。
授業、特にディスカッションはこちらの意見やアイデアを引き出すよう、講師陣が誘導していくため、それに伴う大量のインプットが求められます。授業前に次回のトピックに関する文献を読み込み、ディスカッションに備えていくのですが、読まなければならない文献がとても大量で、本当に大変でした。
入学当初は一晩かかっても準備できないこともあり、今後やっていけるのかとても不安になりました。
日本の大学では教授がメインとなって授業を進めることが多いのですが、メルボルン大学の場合は学生がメインとなって授業を進めていくため、学生側の主体性が求められます。また、自分の主張だけでなく、具体的で現実味のある解決策や提案を相手の意見を聞きながら行わなければならないため、他の学生との協調性や客観性も同時に求められます。
私がメルボルン大学に入学して最も驚いたことは、学生の質がとても高いということです。
特に開発学はそのコースの特徴上、各国の外交官や専門的な分野に精通している人が多く、経験と知識を持った人たちと同じ机を並べて勉強することになります。経験してきたバックグラウンドも各々異なるため、あらゆる視点や思考、考えを様々な観点から得ることができました。
大学院で苦労したことは、英語力はもちろんですが、改めて痛感したことは「日本のことを、何も知らない」ということです。
開発学は国際関係についても深く議論するため、各国がどのようなスタンス、主張をしているのか等を政治的、経済的な面から考えなければなりません。特に日本は国際的にとても重要な立ち位置にいるため、あらゆる局面で日本は質問の的になりました。
全ての学問は繋がっていると言いますが、時には環境学の話から日本の政治について議論が飛躍したこともあります。環境学に精通していない私よりも、その一線で活躍してきた海外の学生の方が日本について詳しい場合があり、逆に彼らから日本のことを多く学ぶことができました。
日本についての知識があれば、もっと深い議論ができたのではないかな、と思います。
大変な大学院での勉強ですが、乗り切るコツは、一言で表すと「交友関係を広げておくこと」です。
大学院においては様々な知識が要求され、自分が勉強したことのない分野についてもたくさん学ばなければなりません。
それはどの学生も同じで、別分野に関する課題をこなすのはとても大変です。そういう時にそれぞれのバックグラウンドや知識を共有しあうことで、自分では考えつかないようなアイデアや情報を得ることができ、すんなり乗り切れることも少なくありませんでした。
Give and Giveの精神で、自分の持っている知識や経験を強みに交友関係を広げてみると、自分のGiveよりも大きなTakeが返ってきます。
日々の勉強は大変ですが、リフレッシュも大切なので、セメスターを通して行われるメルボルン大学主催のフットサルリーグにも参加し、普通であれば知り合うことのない友人がたくさんできました。
普段は同じコースの知人と固まってしまうことが多いのですが、フットサルに参加していたことで、様々なバックグラウンドを持つ友人と繋がることができ、私の交友関係の輪はさらに広がりました。
英語で話すことが得意ではない人も、スポーツを通すことで簡単に友達を作ることができますし、スポーツをすることで授業や勉強の気分転換をすることができるのでお勧めです。
将来は、最終的には世界銀行での国際開発に携わることを目標にしており、入行には開発に関する修士号と、職歴が要求されます。
開発学で私が一番学んだことは、「全ての分野が開発である」ということです。開発は1つの分野で完結することはなく、いろんな要素が絡み合い、繋がってようやく形となるものです。今後は様々な分野・人・文化に関わる職種に携わりながら、世界銀行への歩みを進めていきたいと考えています。
これまでを振り返って思うことは、“思った通りにはならないけど、やった通りにはなる”ということです。
「偏差値30製造機」だった頃は何をやっても学力が伸びず、とても苦しい時期を過ごしました。しかし、目標を決め、それまでのステップを1つ1つ明確にしながら小さな一歩を重ねることで、これまで到底手の届かない別世界だと思っていたその舞台へ、大きく踏み出すことができました。
メルボルン大学までの道のりは決して平坦ではありませんし、入学してからも壁の連続ですが、その分得るものも大変大きな場所です。ご自身の可能性を諦めることなく、小さな歩みを積み重ね、ぜひ大きな一歩を踏み出してください!
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